目次
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近代編
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第二章 近代浜松の基礎
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第一節 浜松県から静岡県へ
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第二項 浜松県
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浜松県と浜松
小村の合併
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【富塚村の内沢村 名残村 寺島村】また村の合併もこのころ行なわれ、「富塚村ノ内沢村ト唱候分明治九年二月同大区壱小区江引渡ス」とあって戸数三十一軒(うち寺四か寺、平民二十七軒)、人員百二十六人(うち男六十一人、女六十五人)がまず浜松宿(第一大区一小区)に編入され(『明治九年六月壱村限戸数人口取調書 第一大区十九小区』)、つづいて名残村・寺島村等も合併によって浜松宿と呼ぶようになった(その他の合併については第三項に記す)。