さて、分県の説が遠州人の耳に伝わると、各地において宿望貫徹の好機至れりとする声がおきたが「就中浜松市民(ママ)ノ如キハ人情期セズシテ同一揆シ一巷ノ説散ジテ数百トナリ一人ノ言集リテ数千トナリ殆ド底止スル処ヲ識ラサルモノノ如く」で、「主務省ヘ請願スルニ至ラン哉モ計リ」がたい状態である。その復活を熱望すること大旱にあたって雲影を待つがごとくである。ついては、ぜひこの建白を採択し浜松県の復活実現によって民心を安堵されたいという趣旨であった。
【鶴見信平 堀口勘蔵 小西四郎】戸長が連署しているが、浜松では木村左一郎(連尺)・田畑庄吉(成子)・小野江善八(田)・鶴見信平(伝馬)・堀口勘蔵(元城・常盤・元名残)・小西四郎(神明)・間渕重太郎(肴)、そのほかの戸長では中村米吉(富塚村)・稲垣太蔵(和合村)・藤谷米十郎(西鴨江)・原田常平(神ケ谷村)・中村太三郎(志都呂村)・鈴木邦作(篠原村)・竹村又一郎(入野村)などがある。