このとき浜松宿では三つの戸長役場(浜松旅籠町組戸長役場・浜松紺屋町組戸長役場・浜松田町組戸長役場)が設けられた。すなわち町村連合の戸長役場は役場所在の町村名を冠して、何町村組戸長役場と称えたが、明治十八年一月戸長役場の位置が改正されて(甲第三号)、浜松宿では浜松旅籠町を浜松伝馬町に改められた。また同年二月には今までの戸長役場の名称を何町村外ケ町村戸長役場と称するよう改正された(甲第七号)。その名称と所轄区域は左のとおりであった。
【浜松中央部】伝馬町外十二ケ町村戸長役場
浜松旅籠町 浜松伝馬町 浜松塩町 浜松元魚町 浜松成子町
浜松菅原町 浜松栄町 浜松大工町 浜松鍛冶町 浜松平田町
浜松後道町 浜松寺島村 浜松八幡地村
以上十三ケ町村 戸長林正照
【浜松西部】紺屋町外十一ケ町村戸長役場
浜松紺屋町 浜松連尺町 浜松利町 浜松肴町 浜松神明町
浜松元城町 浜松名残町 浜松元名残町 浜松高町 浜松三組町
浜松松城町 浜松沢村
以上十二ケ町村 戸長久保田轍
【浜松東部】田町外六ケ町村戸長役場
浜松田町 浜松板屋町 浜松新町 浜松池町 浜松下垂町
浜松常盤町 浜松早馬町
以上七ケ町村 戸長中山誠一
当時はまだ登記法が実施されず地所売買抵当書入公証などみな戸長の取扱いに係り、その事務は繁忙をきわめた、という。しかし、この官選戸長制もほんの僅かの間で、浜松が明治二十二年に町制を布くに及んで廃止となった。
なお、二十二年(一八八九)一月町村制実施準備として三戸長役場を合せ浜松町役場を置き竹村太郎が戸長になった(本章第二節は長柄慶一郎蒐集の『維新資料』によるところが多い)。