【二十八年】その後二十八年に浜松警察署庁舎が移転改築(大字伝馬四十九~五十一番地)されることになり、九月末竣工(木造一部二階建、建築費二千二百二十四円五十銭)した(第三次)。翌年この裏側に駆黴院(くばいいん)出張所(娼妓の花柳病の有無を検査した所)が、更に三十二年には武術講所という建物も増築された。この庁舎は昭和三年十月十日鴨江町一番地(須佐之男(すさのお)神社跡)に移るまで(第四次)、長い間「市民の警察署」として知られていた。
【伊藤泰教】初期の浜松警察署長に監獄副典獄を兼任した伊藤泰教(嘉永三年八月江戸生、浜松町長、松城町住、大正十四年四月没、七十二歳)があった。十年警部となり、十一年浜松警察署長に任命された。同年十一月、地租軽減を訴願せんとして愛知県(春日井郡)の解諭をきかず浜松に入った民衆をよく説諭して上京の志をひるがえしめた、という(『嶽陽名士伝』)。なお明治三十五年稀代の放火魔といわれた西条浅次郎の逮捕事件は浜松町創立以来の未聞の事件として有名である(『浜松警察の百年』)。