【七年十月】しかるに明治七年の小野組大火によって、各町は消防組設置の必要を感じ、同年十月に新町・田町・肴町・連尺町・伝馬町・塩町・成子町・七軒町上新町・紺屋町・利町・大工町・元魚町・下垂町・旅籠町の十四か町に消防組の結成をみた。当時は組員(組頭三名・小頭三名ないし四名・世話人六名・纒(まとい)持三名・梯子(はしご)持六名・指叉(さすまた)三名・雲龍(うんりゅう)水―ポンプ―係・玄蕃(げんば)―桶―水汲等は人員不定・纒付高張・梯子付高張・雲龍水付高張・玄蕃高張各三名・消札高張二名ないし三名・半纒長鳶人員不定・半鐘方・喇叭方など)四十人ないし百人ぐらいであった。【出初式】明治十五年には天神町・神明町・池町・平田町・板屋町・早馬町・鍛冶町の七組を加え二十一組となって、浜松連合消防同盟規約を定め、各組の和親・仲裁規定・傷疾見舞・死亡祭祀料・家族扶助料の制を設け、毎年一月五日連合消防組出初式を行なうことに決した。
雲龍水