【部制】明治二十七年五月県会で消防組規則施行細則が制定されたが、従来の自主的な組(義勇消防組)の改廃分合が容易でないので、当分のうち組織を存置し公設消防組となったのは四十二年八月で、既往十余年間の新設を加え二十六部とした。
なお大正九年従来の二十六部制を廃止し、新たに六部を置き、十年天神町村の連合によってさらに一部を増した。ポンプも大正時代に入ると蒸気ポンプ・ガソリンポンプが使用されたが、十四年に成子町鈴木幸作が自動車ポンプを購入寄贈を機として常設消防手六名を任用することになった。大正十三年当時ポンプ七台、火の見七台、貯水池二十二か所、明治以来の慣習で、火の番小屋を設け、拍子木を叩き金棒をひき、夜間数回町内を巡視する町が多かった。(『浜松消防のあゆみ』)。