浜松測候所

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 【十五年】明治十五年浜松宿伝馬町電信局内に器械を備えつけ、事務所を伝馬町の浜松警察署内に設けたのが最初であった。翌十六年九月高町(敷知長上浜名郡役所に隣接、旧克明館長屋門の一部使用)に移した。主管区域は駿河国安倍川以西及び遠江一円であった。【天気予報】道路の向い側の半僧坊(正福寺 明治二十二年創建)境内に天気予報の標識柱を建て、明日の予報をした。【時の鐘】四角形の布旗の白が晴、赤が曇、青が雨で、下町(したまち)(旧宿場町の地域を称した)のどこからも見え、半僧坊の時の鐘(明治二十七年鋳造、同二十六年鐘楼完成)とともに、測候所が大正十三年八月鴨江町の長者平に移るまで、長い間市民に親しまれた。なお測候所は昭和二十三年に三組町へ移っている。【長島美貞】所長は長島美貞(浜松袋町)であった。三方原移住士族の出身で明治二十年四月測候所が県へ移管のさい所員として勤務し、四十三年から昭和三年まで所長であった。関川美健も士族で明治十五年に観測係をしていた。

浜松測候所(高町所在当時)