【八年】改租は、「容易ナラサル事業」と政府も自認していたように、その第一段階とみられたいわゆる壬申地券(じんしんちけん)(明治五年)の調査交付も不徹底に終り、明治六年の改租諸法令で始まった改租作業も順調に進まず、八年春の地租改正事務局(政府内)の開設を契機として本格的に実施されるようになり、十四年同局の閉鎖をもって終了したのである。改租作業は府県を直接の責任単位として行なわれ、人民の下調査結果を府県官や政府派遣官が検査(書類及び実地)して決定するという方式で進められたので、作業期間や内容結果において地域差を生じた。