遠江国人民の怨忌

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 【改租結果】表①の結果にもとづく新地租は耕宅地分は明治八年、林野分は同九年からそれぞれ徴収された。新旧地租負担の増減を数量的に比較することは極めて困難である。政府の公式報告書「各府県地租改正紀要」は、遠江国は旧税が概して軽かったので改租の際は増租になる所が多くそのため査定にしばしば困難をきたしたがその結果の租額を旧税に比較すると「金八万八千八百七十円余ノ増加」となった、と述べている。これに対し②、③表のような新旧地租増減比較もある。増減のひらきは米価の変動とも関係がある。大勢としては政府が見込んだように新旧租税上、農民の負担にあまり増減はなかったとみてよいだろう。しかし、浜松県の改租結果は、前掲の諸表からも察知されるように、とくに田方の収穫量の増加が全国的にみて大きく、つれて地価も高く地租負担も増加したと認めざるを得ない。【交換米】その大きな原因は田方の地価算定の二大要素である石代(石当り米価)と反米(反当り収穫米)をめぐり官側がいわゆる交換米・増米(交換増米)を人民に押しつけて改租を終了した点にある。この問題は遠州人民の改租に対する「怨忌」を招き、改租終了後も民会開設や交換米取消引戻その他による地価修正(減額)運動となって長く尾を引き、また浜松県再置運動(本節第二項参照)の一因ともなったのである。