浜松県(県令林厚徳)では明治七年五月、地租改正について「人民心得書」を出し、その中で先般発行の地券(壬申地券)に記載した地価額は不正確であるから今回はこれにとらわれずにその土地の年間の収穫高を見積り、それにもとづいて地価額を別条のように申告するように命じ、改租を始めた。【七年三月】その後、八年三月以後の政府の改租促進策にともない、地主惣代が各村ごとに選出され、改租惣代人(各小区)・鑑定人が任命され、県令は区長・戸長に対して本年中に改正済の心算で勉励するように要望した。いっぽう、同年八月には県下の小区(八〇)を五つの出張所(気賀・中泉・二俣・掛川・相良)の管轄に分かち、これに含まれない浜松宿など数小区を県庁の所管下におくこととした。九月には、来る十八日から改租について係官員が多人数派出するが旧慣により「饗応ケ間敷取扱」をしないように区戸長において注意するようにとの県令布達があった。
地租改正下調帳
同内容