田方交換増米問題 交換増米案

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 【人民側】このようにして、明治九年二月に至り、人民側の調査結果がまとまった。それによると、田方の平均反米は一石二斗三升八合(四升余又は五升三合とする資料もある)、石代相場は五円六十七銭となり、畑方の平均反麦は一石二斗余、石当麦価は二円三十三銭となった。【政府側】これが県へ上申されたところ、人民の申告にはその調査過程で県官の指導が入っていたから県としてはこれを承認しようとした。しかし、改正事務局の派遣官(松平正直ほか)は田方について異議をとなえた。即ち浜松県の田方の反米高について政府は一石四斗を見込んでいるので申告の反米高とのひらきが大きく承認できないとしたのである。そこで政府と県の話し合いの結果、次のような趣旨の妥協案がまとまったのであり、これが交換増米案である(三月)。
 人民申告の石代金五円六十七銭を隣県なみの五円五銭に引下げその差額六十二銭を米に交換し(交換米約一斗五升)これを申告の反米に加算し、さらに反当り一升余の増米を認めると反米合計はほぼ一石四斗となり、これは政府の目標額にも合致する。米価を反米に交換するだけのことだから地価・地租の全額に増減はない。ただ僅か反別一升余の増米を承認さえすればこと足りるわけである。人民側としても「苦情」はあるまい。説諭して承認させ三月中にも改租を完了するようにする。