浜松県民会 小区長会 民会の意義

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 【九年六月】明治九年六月、浜松県令(林厚徳)は改租完了時の約束にもとづき県民会の開設を布達し、県庁に民会係(足立孫六ほか)をおいてその組織を検討させた。【玄忠寺】七月に入り、浜松田町の玄忠寺で県下の小区長会が開催され、青山宙平・丸尾文六(城東郡池新田村)・気賀半十郎ら三人の幹事を中心に民会議員の選挙規則が審議され、ここに浜松県民会設立方法が定められた。それによると、先ず各小区(全八〇)ごとに人民が小区会議員(二〇名)を直接選挙する(この選挙権・被選挙権の要件については公選主義が徹底していたといえる)。次に小区会ごとに小区会議員が正副議長を互選し、この正副議長は大区会議員を兼ねることとし、さらに正議長は県会議員(八〇名)をも兼ねることになっていた。【小区会 大区会 県会】このように有機的に連係されていた小区会・大区会・県会という三重構造の議会を総合して民会と呼んだのである。次にこの規定で選出された最初の県会議員のうち第一大区の氏名を記す。いずれも当時の名望資産家の類であり、人材であった(前表参照)。
 
第一大区の県会議員名
小区名第一大区
1堀口勘蔵
2池川義太郎
3竹山平八郎
4金原明善
5桑原真清
6中山誠一代理
水谷貞次郎
7小野田松一郎代理
竹村太郎
8佐藤逸平
9飯田武平
10内藤窟戸
11菅沼八郎
12山本音蔵
13県勇
14山本宗太郎
15気賀半十郎代理
中村容平
16中村吉太郎
17堀野義豊代理
柴田藤吉
18宮崎長九郎
19稲垣書邦
20原良平
21内山伊知太郎
22近藤亀松
23大石喜三郎
24伊藤多平次
25平野又十郎
26横田茂平
27橋本茂登治
28伊藤八三郎
29松島吉平
30稲垣長七
31松山正平

(増田潔「浜松県公撰民会覚書」『静岡大学浜松分校研究所年報第六集』)