岡田をはじめ大多数の遠州人民が十八年の米価改訂を待望していた矢先、十七年三月政府は「地租条例」を制定し地価及び租率を従来のままで固定することにした。【十八年 提出要旨】そこで十八年十月、遠州惣代人五名(静岡県会議長丸尾文六ほか)は連署を以て静岡県令宛に「遠江国田方石代相場訂正ノ儀ニ付上申」を提出し哀願した。その趣意は左の通りであった。
……以上のように遠江国の田租改正は未だ完了していない。田方の平均石代五円四十三銭を隣国に比較すると、駿河五円十六銭、三河四円八十六銭、旧筑摩県三円四十六銭、甲斐四円五十八銭、日本全国平均四円十八銭余となっており、どこよりも高値である。これが「天然ノ相場」ならばやむを得ないが実は「交換米引戻ノ為ニ人意ヲ以テ故(ことさ)ラニ設ケラレタル」相場に外ならず、今日までこのような「仮造ノ相場」に忍従してきたのは十八年の改正を期待したからである。遠州の改租は「一種特別」(交換米)で、未だ完成していないのである。地租条例により石代相場が据置かれると非常な困難に陥るので、「真正ノ石代相場五円五銭」に訂正されるようお願する。
十九年十二月から二十年三月にかけて、遠州惣代人四名(丸尾・板倉・岡田・金原明善)は政府と交渉し石代引下げを要望した。その結果、政府は、石代五円四十三銭は不当であるから五円十五銭に改め、これにもとづいて田方の地価・地租を減額修正することに決し、これが二十年に実施された(静岡大学法経短大編「明治二十年岡田良一郎著 漂洋紀事本末」『法経論集』第二十七号所収)。