地押調査 地券廃止 土地台帳

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 改租はやや拙速的に行なわれ、不正確・不公平をまぬがれなかった。大前提である地積の正確な把握が要望されたが、これは測量法(前述)とも関係があった。【十九年】政府は明治十九年から二十一年にかけて地押調査を全国的に実施した。第二次改租とも言われた大事業で地押丈量の誤謬を訂正(三斜法による)することが主眼目であったが、地目の変更なども行なわれた。磐田郡下万能村では二十年四月二十日から、大蔵省・県庁・郡役所などから数名の官吏が出張して行なわれたが、二十日には午前五時から午後三時までに千番余の地押・地目変換・丈量誤謬等の検査を終了したが、その検査景況は一組六人ずつ二組に分かれ、検査中は答弁人の外は発言を禁じ吸煙も禁じた(『絵入東海新聞』)。浜松地方では、例えば市野村や天王村では、田畑宅地森林に至るまで各土地一筆ごとにその地積を検して誤を訂正した(『市野村誌』『天王村誌』)。【二十二年】地押調査の結果は二十二年の土地台帳制度に吸収せられ、地券制度は廃止され、登記法(十九年)とともに土地制度の近代化が進んだ。改租事業の定着とも言えよう。地押調査終了を待って政府は地価の特別修正(減額)を実施したが(二十二年八月)、例えば当地方の天王村の場合は下表のとおりであった。
 
反別地価地租
明治21年度現在208町4反2畝13歩81452円0792036円475
修正189. 9 3 03 74321. 0311858. 026
明治21年度現在99. 3 7 19 29674. 967742. 019
修正106. 8 7 13 26205. 874655. 147

備考 税率2.5%
(『天王村誌』)