帝国議会への請願運動 遠江国改租の特質

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 明治二十三年に帝国議会が始まると、地価修正(減額)運動は全国的に議会への請願という形をとるようになり、議員も地租問題に関心が強かった。遠江国はその好例であった。二十四年十月、衆議院議員三名の共記による「減租参考一斑」は、第一次改租にみられる拙速・不公平・不正確を指摘し、とくに高地租地域の実情を述べ減租の必要を強調した。これに関連して遠江の各地区から衆議院議長・貴族院議長・大蔵大臣宛に提出された請願文は遠江国改租の特質を的確に語っていると思われるのでその一部を次に紹介してみたい。
 
【高い地価】「我帝国第一期地租改正ハ各県各地不完全ノ結果ヲ来シタルコト……就中静岡県中遠江国一般ハ旧浜松県庁ニ於テ明治九年ヲ限リ他県ニ先ンシ急劇忽卒ノ竣功ニ及ヒタルモノニシテ……其際種々ノ事情ニ據テ米価ヲ以テ収穫米ニ交換シタルカ故地力不相当ノ収穫ヲ負担シ其後幾分ノ特別修正ハ有之タルモ未タ以テ他県ニ比ス可ラサルノ高地価ナルコトハ瞭然トシテ疑ヒナシ……」
 
 これより先、二十四年一月に田畑特別地価修正法案が衆議院に提出され、当時衆議院議員であった岡田良一郎はこの法案の通過に盡力したが、同年十一月第二議会で継続審議されることになった。そして二十五年衆議院で可決されたが、貴族院で否決され成立に至らなかったのである。