社寺地の所有関係は複雑で、そのため改租に際し争論を生ずることが多かった。社寺地には、朱印地・黒印地・除地といわれた封建領主からの拝領地と社寺の本来所持(私有)地とがあり、両者の区別にあいまいな点もあった。【上知令】明治四年正月、政府は社寺地の収公を断行した(上知令)。これは多くの社寺にとって打撃であったが(後述、第四節第八項)、この上知令では祭祀法要等に必要な境内や墓地(後に民有地第二種無租地)は上地(上知)しなくてもよいことになっていた。【境内地】そこで以後数年にわたり「境内」地の決定ということが社寺地処分の焦点となり、八年七月には改正事務局から「社寺地処分ノ事」と題した基準が示され、改租作業は進められた。そして、結局のところ、相当量の社寺地が旧神宮・僧侶・一般人民の所有に確定したのである。