和地山

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 【和地村共有地】浜名郡和地村外四か村地付字和地山(一、反別一二二一町二反七畝二六歩、内畑反別一〇町八反一畝一六歩拝借地、一、木数一五六万四〇〇〇本、内訳略)別今御料地であるが古来和地村の共有地であった。当村は近年困難につき本年二月宮内省宛に証拠書類を添えて御下戻嘆願書を差出したが何の御指令もない。よって左の通り事情を申しのべて御詮議を願い、宮内省へのお取次ぎをお願いする次第である。一、現今御料地に編入されている和地の御料林は往古から和地村共有の山林であったことは元文(一七三六‐一七四○)・延享(一七四四‐一七四七)以降年々貢租(山高)を上納してきたこと(別添書類)で明らかである。ことに元禄三年(一六九〇)の争論で幕府の裁決(境界を正した大絵図と裁決書は当村に現存する)があってからこの山林は和地山として明治初年まで全く和地村の所有に帰した。【官林】ところが、明治五年、浜松県庁から「誰持」の名称のない土地はすべて官地にする旨の布達があり、役場で「和地村共有和地山」と記載すべきところを誤って官林と記して申告した。一、和地山民有の来歴証拠書類は次の通りであり(省略)、それら「証拠物ノ真正ナルコト」は疑いをいれない。一、和地山が御料地に編入になったことは「全村ノ名誉ニシテ私共一同満足」すべきことであるとは思うが、当村は「新墾スヘキ土地ニ乏シク右御料地拝借ノ栄ヲ得」たとしてもこれでは「永世私有」の目あてがないので進んで「開拓」する者はない。また、一村に必要な薪材・秣(まぐさ)等は古来この山林から得ていたが、御料地編入後は途絶し遠路地からの供給となったので、このため村の疲弊(ひへい)は年々相増し一村の維持が困難になっている。