【十二年】そうした動きのうちに、浜松では十二年十二月に己卯社(きぼうしゃ)の結成をみた。己卯社は同年一月静岡で大江孝文(元浜松県属、『重新静岡新聞』主筆)らによって結ばれた参同社の刺激をうけてできた結社で、近藤準平(天保十二年長上郡有玉村生、明治三十三年没、六十歳)・竹村太郎(敷知郡入野村)・松島吉平(十湖)などが発起人で、社員には石原猪吉郎(嘉永元年現引佐郡三ケ日町生、明治三十九年没、五十九歳)・杉浦公正・加藤枡蔵・樋口弥一郎(浜松連尺町)・山下斧治・県勇・内田政治(浜松紺屋町)・小池文雄(文久二年敷知郡浅田村生、明治三十五年没、四十一歳)・桑原楯雄(嘉永四年現焼津市生、赤心隊員、明治五年桑原家に養子、長上郡都盛村、大正七年四月没、六十九歳)・大場三郎・安間叶・気賀荘太郎(引佐郡気賀村)など五十七名があった。浜松を中心として活動したが、政党というよりも親睦団体で国会開設運動に参同社と同一歩調をとった以外に特に目立つ動きはなかった。