始めて政党らしい結社が浜松にできたのは、明治十五年三月に誕生した遠陽自由党が最初であった。これは静岡に創立された岳南自由党(自由党は十四年十月結党)に対抗してできた政党で、その母体は遠州出身の県会議員二十九名より成る同盟会であった。【十五年 沢田寧】沢田一朗・沢田寧(代言人)・鈴木貫之(代言人、士族、安政二年八月生、浜松紺屋町)らが党員で、十五年九月岳南自由党が解党した後は、県下唯一の自由主義の政党となった。関口元老院議官(後の静岡県会)は『地方巡察復命書』(明治十六年)について遠陽自由党に触れ、党員は七十一名ありとして「遠陽自由党ノ如キハ、代言人若クハ無頼書生等ノ集合ニテ財産ヲ有スル者尠ク、其挙動稍粗暴ナルニ依リ、党員募集ニ奔走スレドモ人皆之ヲ嫌忌シ、応ズル者僅少ナルヲ以テ、虚勢ヲ張リ時々演説会ヲ開キ漫言誇称スルモ、却テ嗤笑ヲ招クノ媒介トナリ、益々不振ノ勢ナクト言フ」と報告している。党内の分裂によって十七年十一月解党した。