静岡事件と浜松

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 このころ静岡事件という事件がおきたが、これは遠陽自由党及び岳南自由党の壮士が、伊藤首相以下各大臣を箱根離宮の落成式に鏖殺(おうさつ)しようと企てて露見し同志百余名がことごとく捕縛された事件であった。そのうちで浜松関係について述べると、一味の中野二郎三郎が浜松(浜松板屋町法雲寺付近)へ移ってきて鳳離舎という塾を開いたのは明治十三年ころであった。同志の山田八十太郎(浜松伝馬町)を語らい金指銀行を襲撃し資金獲得に奔走したりして時期の到来を待っていたが、明治十九年六月陰謀が発覚し浜松の自宅で逮捕され、中野は十五年、山田は八年の刑を受けた。ときに中野は三十三歳であった(田岡嶺雲『明治叛臣伝』)。