目次
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近代編
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第二章 近代浜松の基礎
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第一節 浜松県から静岡県へ
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第六項 明治前期の浜松の政界
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政党のおこり
立憲改進党
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【十五年】つぎに立憲改進党(十五年四月結党)の系統をひいた静岡県改進党(『函右日報』が機関紙で『静岡大務新聞』も一時その傘下にあった)があった。党員六十名、穏健な漸進主義をとる政党で党員には財力に富む者が多く、己卯社からも小池文雄などが参加した。十六、七年ごろが全盛であったが、中央の改進党とも連絡が十分でなく、十八年三月には解党のやむなきにいたった。