【十五年】また立憲帝政党(十五年三月結党)の系統をひくものに、十五年三月に浜松(浜松袋町、竹田右文宅)と静岡に事務所をおいた東海立憲帝政党があった。党員七十四名、保守主義を標榜する政党で、政府の御用党といわれた。【平民 小西四郎】浜松でも士族を中心に竹田右文・小野江善八(田町)・林弥十郎(伝馬町)・杉浦彦惣(鴨江小路)・中島登(紺屋町)・小西四郎(神明町)・殿岡善太郎(伝馬町)・宮坂米吉(神明町)・木村安次郎(元魚町)・金原吉十郎(鍛冶町)・田中五郎七(田町)・市川庄次郎(板屋町)・山田和三郎(下垂町)・小池文雄(浅田村)・岡部譲(伊場村)・相佐新次郎(瓜内村)・柳原時次郎(村櫛村)などと参加する者が多かった。【士族 山崎金重】その中心勢力は山崎金重(城内)・岡田安貞(後道)・伊藤脩忠(名残士族町)・加瀬頼正(下垂町)などの幕臣(士族)出身者たちで、財閥派の中村藤吉・鶴見信平・小野江善八等の勢力はまだ微々たるものであった。しかし主憲帝政党の解党とともに浜松の同志も解散するにいたった。四散した党員はやがて自由党(静岡県には旧遠陽自由党系の遠陽大同倶楽部と旧岳南自由党系の岳南自由党があり、明治二十六年一本化した)や改進党(同好会)の傘下に吸収されていく。そして今後の浜松の政界はこの二党の影響を受けるのである(岡田金正『浜松政界史論』)。