費用出資

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 総費用四千七百七十四両余(明治四年十二月仕様書)、このうち二千七百五十七両は勧工所御用商人が出資した。四百五十両宛が気賀林・横田保・平野又十郎・村越伊平の四名、その他に渥美久四郎・棒屋藤吉・笠井屋・小野江善六・八百庄・永楽屋甚平・木村安治郎・鍋屋・間渕屋・綿屋嘉吉などがあった。
 
【延陵の剛腹】『井上延陵翁伝』(昭和十一年、東京都杉並区、佐藤松野著)によると「このとき用地を三日を出ずして買収し、藩庁で藩役人に疏水工事を上裁を経ず着工するは独断なりと咎められると、井上は『疏水工事とは余は関知せず、田畝を買うて大圍地を造り、船舶を浮べて風光を賞せん』とするのみ、『しかるを上裁とは何ぞや』と論じおそるゝ色なし。大久保一翁のとりなしで許可を得た」とその剛腹を述べ、「四民歓喜し」てこの工事を「一年たらずで竣工した」と井上の功をたたえている。
 
 浜松県官員
       宮原 廉
  新溝鑿就小船通
  両岸長堤伏翠龍
  十五橋頭晩潮上
  満帆明月入浜松
 鼠来
  新しき畳の上や飛ぶ稲子
 花好
  むしろ帆に陽炎の立つ井の田川
 風外
  ひき舟に添ふ陽炎や井の田川