【四年七月】工事は予想以上の早さで進み、明神野川(在来悪水堀)をへて七月には入野川に通じた。その接点は佐鳴湖(さなるこ)の南方約千百メートルの三叉(みつまた)という所であった。入野川は佐鳴湖から流れ出て浜名湖へ通ずる川である。かくて浜名湖の水ははじめて浜松へ通じたわけで、今まで浜名湖からの荷物は入野川土橋で陸上げをして浜松へ運んだことが多かったが(『浜松市史二』参照)、直接浜松にまで輸送ができるようになったのである。なお、掘割工事に関する各村の苦情処理には古橋庄九郎(佐浜村生、明治十三年六月没、六十一歳)の骨折りがあったという。