浜名湖と船運開く

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 【新所 定期航路 五年五月】新所出身伊藤安七郎(明治三十三年建てられた彰功碑が湖西市にある)の経営する新所渡船会社と提携が成って、船が浜名湖を横断しその西岸の新所(日の岡)にまで通じたのは翌五年の五月であって、これによって名実ともに浜名湖船運の便が開かれた。そして明治五年十月には通船路許可を得ている。
 使用したのはサッパとよぶ屋根のない和船で十二人乗、浜松・新所間を一日に午前六時・十時、午後二時・四時の四往復で、五、六時間で往復穀類・食塩・茶・酒・味噌・醬油・瀬戸物・瓦(かわら)などを運んだが、船客は大人一名八銭五厘(運賃七銭、川かかり一銭五厘)であったという(これは時代によって相違があった)。