しかし、裁判となってみると、井上・田村の両名はすでに明治八年運河の敷地を二分して(井上二町一反五畝十歩、田村一町三反三畝七歩)地巻下付の手続をすませ、地租改正を経て、両名が所有権を握っていることが判ったばかりでなく、経費の収支などについても井上の経営の証が明らかであるというので敗訴となった。そこでさらに東京上等裁判所へ控訴したが、ここでも近在町村の主張は認められず敗訴となり、泣寝入りのやむなきにいたった。そして堀留運河はまったく井上個人の純然たる営利事業として認められることになった。しかし、たとえ敗訴したとはいえ、武士を相手どってのこの訴訟は新しい時代の到来を思わせるものがあった。