堀留運河の開通によって、新所ばかりでなく浜名湖や佐鳴湖などからも上新町の堀留船溜へ舟が入るようになった。たとえば庄内方面から陸路よりも浜名湖を船で運河に入り浜松へ出るのが便だったし、明神野村では川札によって運河通航の便を得ている。佐鳴湖畔でも入野村本所の人島津亀作による遠州入野東会社の本所河岸(がし)(佐平河岸)とか小薮(こやぶ)河岸(小沢小十郎)・喜次郎河岸(富塚の人、池谷喜次郎による)などが活気をみせ、村櫛より湖東巡航船会社が通船(二時間、大人四十銭)を始めたのは昭和二年であった。
堀留運河鑑札(表)
堀留運河鑑札(裏)