井上八郎

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 井上八郎、号は延陵、延岡藩に文化十三年(一八一六)九月生れ、江戸へ出て千葉周作に剣を学ぶ。弘化三年(一八四六)幕臣となり、明治二年浜松へ来る(五十四歳)。明治四年十二月清虎と改名し浜松県七等出仕に任ぜられたが、翌五年五月被免(「官員履歴」『浜松県記録』)。多くの移住士族が離散するうちに政商気賀林などと結んで堀留運河を経営、第二十八国立銀行の頭取に就任(後述、第三章第三節第一項)、十三年東京へ去る(六十五歳)。三十年四月二日没。八十二歳(墓地東京下谷区谷中。浜松市元城町東照宮境内に明治三十四年建設の頌徳碑がある。佐藤松野『井上延陵翁伝』、渥美静一「井ノ田川掘割と井上延陵翁」『土のいろ』第十五巻第一号、「明治初年における浜名湖の交通」『湖西の文化第二号』、彦坂良平「伊藤安七郎と日の岡港」『湖西の文化第十二号』、佐々木忠夫「浜松の交通運輸」『遠州産業文化史』、『堀留運河資料と沿革』、林圭介『林弥十郎伝偲び草』)。