江戸時代には入会地にすぎなかった不毛の三方原(『浜松市史二』参照)も明治を迎えるとようやく開拓されるようになった。ここではこれを四期に分けて述べることとする。第一期は駿府藩(明治二年六月静岡藩となる)がその藩士(士族の称は明治二年十二月)の授産のために民間とともに、いわゆる官民共同の相で開拓を推進した時代で、第二期は浜松県のもとで気賀林(きがりん)が中心となり茶園百里園(ひゃくりえん)の経営を行なった時代、第三期はその百里園をうけて横田保が継いだがついに解散にいたるまでであり、そののちこの不毛の台地に根をおろした郷土の人たちがわずかに残った士族たちと力を合わせ開拓を進め、ついに明治四十三年(一九一〇)三方原村を完全な自治村として独立させるまでが第四期である。