気賀林の三方原開発案

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 つづいて四月になると長上・敷知(ふち)・浜松付の地方役所の長山晋之助及び滝口小一郎宛にも左のような建白をした。それは「人家取立」について、開発人の「頭取」は私に命ぜられたい、また入用金の負担ができる同志を三名ほど選ばれたい。【人夫動員】開発の地所は、家屋敷地として往還通りに一戸につき間口三十間奥行六十間、開墾地として一戸につき五反歩の畑を予定しているが、それは開発人の「永世持」に願いたい、なお開発中人夫入用の節は「頭取」より申出次第、最寄の村々より動員をさせてもらいたい。また移住人の居宅(一戸間口三間奥行四間、藁葺(わらぶき)または板葺(いたぶき)で、表通りは雨戸障子(しょうじ)、三方は壁(かべ)、その見積十八両)は開発人にて建築するが、その半金は拝借人、他は開発人持とし、開墾地五反は一年に二反半宛で五分は作りどりでのちに開発人に元入金を補い、なお年貢を仰付けられたい、というのが要旨で、つまり浜松と気賀との中間の往還通り(姫街道)に沿って市街(宿駅)を建設するのが目的であった。