ところが翌二十八日長山晋之助より「静岡江伺済迄差延置候様」との通告があった。その理由は「三方原開拓之儀、自然宿駅之姿を為し候而ハ往々本海道より故障申出候様可相成哉も難計候間」それでは開拓の本意に反するというのであった。なお、この六月十七日は諸藩主に対して版籍奉還が命ぜられている日である。
驚いた気賀林は人夫差出方の中止を指令するとともに、七月二十日付をもってこのたびの三方原開拓の理由は「素より私益を計リ候儀ニ無之、可奉報御国恩之宿意」で三方原往来の人々の「救助之志より外余念無御座」、もちろん「本海道之差支を醸し候存意毛頭無之」につき再開されたい、と長山・中尾金平に対して建白を行なった。