開拓の進捗

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その結果、その願意がききとどけられ、八月にいたって生育方取締北脇弥七郎他四名の出役となり、八月十九日・二十日・二十一日と三日間にわたり繩張をなして大略の構想がまとまった。そして建物二十五棟、井戸二十一か所を久米右衛門・安富村徳十郎に請負わせることとなった。
 なおこのとき井上八郎・田村弘蔵の両名は気賀往還通四丁目から十三丁目までの借地権を、気賀林は同通の十四丁目から十九丁目、同二十五丁目、都田通一丁目の借地権を確保している。いずれも奥行はほぼ六十間、これに借家を建てようという計画であった。これを気賀林は「大歓喜老衰之困苦忘却」と言っている(なお、この月、気賀林は「御布告ニ付」、岩井林右衛門を岩井林と改名している)。