開拓の中止と再開

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 しかるに九月九日にいたり生育方取締介秋山太平次と同肝煎(きもいり)秋山彦蔵より「静岡より飛脚到来」して「又々変革ニ付」ては、二十五棟のうち三棟は請負通り二十二棟は見合せよ、との通知があった旨の連絡があった。おそらく藩制改革による計画縮少であったろう。このとき浜松では奉行所の廃止に代って郡政役所がおかれている。