横田保の三方原開拓進言

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 気賀林のあとをうけた横田保は鋭意茶園の経営に専念することになるが、保と茶園との関係は「明治六年七月浜松県令林厚徳町村学校巡視の際、三方原にいたり横田保氏に此処に茶園を経営すれば有望ならんと語ら」れたので「保氏は気賀林・金原明善にはかり」(「横田保君之伝」『嶽陽名士伝』、『静岡県茶業史』)と三方原開拓を進言し、十一月に発起人の一人となったのがはじまりといわれる。