目次
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近代編
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第二章 近代浜松の基礎
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第二節 殖産興業と地域の開発
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第二項 三方原開拓
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横田保の経営
百里園の解散
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【三十九年】百里園の御料局売却案がもちあがったのは三十五年六月であるが、これをきいた曳馬村の中村太郎三郎はじめ原川通徹・横山義珍・大石和吉・大原則教・斎藤幸次郎・大久保牧太らの七人は曳馬村の有志と談合し、これを購入して「村内有志二年賦売渡シ」分割することとなった。ときに明治三十九年で、百里園は三十年たらずで終りを告げるにいたったのであった(早出町薬師堂境内「明治四十一年虚空蔵菩薩建立由来」、「昭和二年三方原開拓碑」、原川家文書『百里園売買契約文書』)。