百里園の解散

92 ~ 92 / 729ページ
 【三十九年】百里園の御料局売却案がもちあがったのは三十五年六月であるが、これをきいた曳馬村の中村太郎三郎はじめ原川通徹・横山義珍・大石和吉・大原則教・斎藤幸次郎・大久保牧太らの七人は曳馬村の有志と談合し、これを購入して「村内有志二年賦売渡シ」分割することとなった。ときに明治三十九年で、百里園は三十年たらずで終りを告げるにいたったのであった(早出町薬師堂境内「明治四十一年虚空蔵菩薩建立由来」、「昭和二年三方原開拓碑」、原川家文書『百里園売買契約文書』)。