行政的には明治六年(一八七三)二月には敷知郡第一大区二十一小区に属し初代小区長が間宮鉄次郎であったことはすでに述べたが、その後十二年三月まで第十二大区二十小区となったり曲折があったが、町村制施行(明治二十二年)のさい三方原村となり、曳馬下村と組合村となったが、村としての体裁がようやく整ってきたので、四十三年四月一日より組合を解き初めて完全に独立した自治村となった。四十四年末には戸数二百四十戸、人口千六百九十一人と増加し、面積総反別千三百七十六町余、そのうち帝室林野千百五十二町歩でその余二百二十四町余が民有地であった。そして民有地のうち畑地は茶園をふくめ百三十九町歩に達していた(『浜名郡三方原村誌』)。