三方原給水計画

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 明善は五年正月浜松県から堤防方付属を命ぜられ、十月には天竜川御普請専務(月手当六円)に任ぜられた。明善はこのとき県に対し、天竜の流路を西鹿島で締めきって三方原(みかたがはら)へみちびき、浜名湖に直接注ぐ新天竜川の造成をはかるとともに、旧河身を開墾地として利用するという構想を献議している。この雄大な計画は莫大な工事費を要するという点で県の許可にはならなかった。しかしこの献議は後日金原疏水財団の疏水建設計画として具体化される原型となったという点で注目に値するものである。