水利学校の経営

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 明善がかねてからの計画で治河協力社専属の技術員を養成する目的をもって、水利学校を開校したのは十一年三月であった。明善の旧邸宅を校舎とし儒学者戸川深見を教師に招き、測量・図面・実習をもって予科とし、内務省土木部への工事現場での実習をもって本科としたが、十三年十二月には閉校した。卒業生は十三名であった。なお工部大学校(東京大学工学部の前身)卒業生小林八郎を社費で留学させオランダ治水の技術を学ばせ、帰朝後は協力社の事業である天竜川の測量をさせている。