治河協力社解散

102 ~ 102 / 729ページ
 【天竜橋 十八年】その結果、治河協力社への地元寄付金二千七百余円および天竜橋の管理権を沿岸諸村へ譲渡するという約定をもって天竜川沿岸二百三十六か村(代表新貝村大塚善八・中野町村浅野茂平ら)と明善との間に示談が成立し、治河協力社も十八年三月解散することとなった。治河協力社が明治十一年以降の政府交付金の内工事費として支出したのは半額程度であり、わずかに測量と量水標を設置したのみで、その経理について疑うものもあった。こうして天竜川は「明善の天竜川」より「沿岸二百三十六か村の天竜川」にもどり、天竜川第一次改修工事も内務省によって明治十八年より十か年計画をもって実施の運びとなった(天竜川第二次改修工事は大正十二年より十か年の継続計画で実施され、昭和二年には中ノ町に天竜川改修事務所ができた)。