遠州退去

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 解散に際し明善は社の資産十七万円を県へ上納したが、県は十万円を受領し、残高は明善に返付している。これはさきに明善が献納した家産額に相当した。明善はこれを受取り十八年三月に東京へ移住している。これは治河協力社解散による方向転換であった。明善はこれより、これを資金とし、かねての持論である治水には植林が必要であるという見地から人工造林に着手した。翌十九年からで植林事業の開始であった。事業はこのときより大正十二年の没年までの四十余年間にわたるが、遠州関係は瀬尻御料林と金原林の経営とに大別される。以下、遠州における植林と製材の二事業について略述しよう。