【浜名三川援助】昭和に入って、県が県営浜名用排水幹線改良事業に着手すると、その中の浜名三川(芳川・安間・馬込川)の改良事業は、明善の治水精神に添うものとしてその費用を寄付することに定め、昭和十三年九月財団の名も金原治山治水財団と改称し、その事業目的も「汎ク治山治水ノ為ニスル造林ヲ行ヒ及浜名平野ニ於ケル灌漑排水事業ヲ促進」することに改訂した。十六年農事関係工事が農地開発営団に移管されるようになると、金原治山治水財団の事業も天竜川沿岸用水改良事業に包合され営団の手に移った(なお、このとき同事業に天竜川の水利権を譲った会社に三方原水力電気株式会社があった。同社は最初浜名水力電気株式会社といい、長谷川鉄雄・住岡栄太郎などによって明治の末期創立された会社であった)。しかし財団の寄付は継続され、その改良事業も昭和二十二年貫水をみるに至った。そして寄付も打切った(鈴木要太郎『金原治山治水財団史』)。