【勧善会】1 出獄人保護事業 明善がこの事業に関心を持ち勧善会を組織したのは明治十三年であった。その動機は、天竜川水防につき知己であった会計官岡本建三郎を静岡監獄に慰問し、これも政治犯の大分県人川村矯一郎から監獄の内状をきいて心を動かされたためという。川村は出獄後に静岡監獄の典獄に採用され掛川町の山崎千太郎の協力を得て、二十一年勧善会を社団法人として静岡県出獄人保護会社と改めた。会社は静岡在の安東村にあったが明善は絶えずこれを援助し寄付金の募集に努めた。この会社は四十四年組織を改めて静岡県勧善会と改称し財団法人となった(『静岡県勧善会史』)。