2 銀行の経営 治河協力社の取引銀行であった丸家銀行は丸善(現在の丸善株式会社の前身)の創立者である早矢仕有的(はやしゆうてき)が明治十二年創立した銀行であったが、松方の幣制改革の影響をうけて十七年四月支払停止となった。丸家銀行に二万円ほどの預金があった明善は選ばれて整理委員の一人として整理にあたった。これにはかねての知人であった岡村義昌(『浜松市史二』参照)の依頼があったためという。【金原銀行】十八年には自ら頭取となり旧丸家銀行内に東里為替店(のちに為換店と改称)を開いたが、この為替店を併合して三十三年合名会社金原銀行を設立した。明善ははじめて銀行頭取となった。大正六年株式会社と改組した金原銀行は養孫巳三郎が頭取となったが、昭和十五年三菱銀行に買収合併されて名を消すことになった。