明善の死

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 大正三年和田村村長に就任したが、まもなく健康を害し、七年ごろから老衰のため歩行困難を来し十二年一月十四日東京府下渋谷羽根沢の寓居に死去した。九十二歳であった。【妻玉城】妻を玉城といい画が巧みであった。明治三十七年十二月六十七歳で没した。【中山均】また明善の孫女はその門人中山均に嫁している。中山均は昭和十八年二月静岡銀行創立のさい副頭取に、翌十九年十月二代頭取に就任、二十四年六月に日本銀行政策委員に就任している(『中山均 人と思いで』)。