遠江の学校新築

114 ~ 115 / 729ページ
 【地元負担】このように各学校はみなその経営に苦しんだが、とくに「遠江国ハ」県当局の奨励もあって(九年二月)「学校新造ニ多ク費セシリ由リ其資金殊ニ乏シ」(『文部省巡視状況』)とあるように新築が多かったから、その維持は学区内集金と有志者の寄付金によるほかなく町村にとって重い負担であった。宇布見学校では新築計画を発表すると村民の反対が起こり、竣工後もそれが尾を引いて反対村民より会計再審査の要求がおこるという紛議が起きている(『雄踏町誌』)。

遠江風土歌

遠江風土歌(一部)
郡ハ十二敷知浜名
豊田引佐に周知郡
荒玉磐田長の上
城東榛原佐野山名
其邨数は千百と
五十一村これをわけ
三の大区と定められ
小区の区画は八十二
反別三万三千と
八百三町三反余
歳額凡十二万
戸数八万八千余
人口四十一万と
五千の余にも及ふへし

 【女子教育】県は六年三月女子教育の必要に注目し横田保に命じ女子教育趣旨書を発刊させたりしたこともあって、「女子ノ就学ハ駿豆ヨリ多シ」(『文部省巡視状況』)と報告されてはいるものの一般に女子の就学率は低く、宇布見学校では女生徒裁縫場を設けたりして奨励している。【子守学校】入野学校では明治十一年陽報寺住職によって光福寺・大円寺の三か所で子守学校が開かれている。なお浜松の女紅場については後述する。