これよりさき、浜松へ学校設置が定まると「浜松学校入費之内に献納仕度」(『明善記念館資料』)として寄付を申出るもの(乗松甚十郎・川口左又郎・権田和七郎・金原明善・小野江善八・杉浦彦惣・中村藤吉・田畑庄七・木村安次郎・間渕重太郎・内山嘉吉・大庭作平・近藤弥市・中島登・三方原士族正木八十郎等)が多く、学校創立後も秋葉・平田・池・大工・早馬・新・板屋・下垂・紺屋・成子のように町ぐるみの寄付を申し出る町も出で、浜松の人たちの教育への協力ぶりにはめざましいものがあったという。
しかし、一校のみでは不便なので、新しくつぎの三校の新設をみるにいたった。