【教員養成 八年三月】教員の養成はなにより急務だったので、明治八年三月浜松県はかねての計画であった師範学校を浜松学校の中に置き(元城内二番地)、ただちに志願者の募集を布達した。これが浜松瞬養学校であった。瞬養とは瞬時に養成するという意味で速成学校ということであった。八年四月、募集人員三十人(第一・第二・第三大区中男女合一〇人宛)、年齢十五歳以上、官費生(月五円給与)・区費生(区より学資給与)・自費生の三種に分ち、区戸長学区取締の保証を要した。在学期間は四か月で、はじめの二か月で下等小学課程卒業後在勤学校で授業法を施し、のちの二か月で入学上等小学課程を修了させ、試験に合格したものには小学訓導の証書を与えた。教科は授業法・歴史(和漢)・算術・理学・国語学・文法・生理学・地理学・西洋歴史・文学・記伝法・罫学で一週四十一時間、入舎生活をさせた。職員は幹事一名・教員四名・会長二名・小使が二名であった。
瞬養学校卒業証書