【和地山】その他に犀ヶ崖は古戦場で、その北の和地山は元は松林だったが明治二年に「士家数百軒商舎若干建」ったが地味赤土砂で小石が多い。ここから富士が見えて佳景である。【三方原】三方原は和地山開墾所より北方一里で小松躑躅(つつじ)が多い。明治二年「開拓ありて士居数百軒商家之に准し日に日に移住し月々に開肆す。故に一都会」を成している。【汐垢離】海岸は例年六月七日・十五日等に土人が汐垢離して疫神を払ったり、また雨乞火防の祈禱をする。浜松より東南に掛塚港がある。東西の運船が入津する。
以上のように明治初年の浜松を活写している。