【七年】翌七年四月二十七日、浜松宿はじまって以来の大火があった。「昨廿七日午前第七時三十分、管下浜松駅伝馬町ヨリ失火、折節西風烈敷、駅中并近傍不残類焼、午前十一時ヨリ南風ニ変リ、東ハ馬込村迄延焼シ、午後第四時鎮火、右ハ管下未曾有之大火ニ有之」とその翌日浜松県令林厚徳は内務卿へ報告している。取調書(『浜松市史史料編六』)によると、火元は浜松宿伝馬町小野組支店で、浜松宿家数三千二百二軒の内、焼失家数千三百十八軒(蔵一〇八、寺五、狂言小屋一)で、被災町は伝馬町・旅籠町・鍛冶町・後道・平田町・平田村・塩町・大工町・利町・紺屋町・連尺町・神明町・肴町・池町・板屋町・新町・元魚町・大堀新地の十八町村に及び、被災者四千六百四十九人(男二二二五、女二四二四)・焼死三人(男二、女一)に及んでいるばかりか、馬込村(家数五九軒)に延焼しその十七軒が焼失している。【中心街焼失】火元の名をとって小野組の火事といったが、浜松宿の東海道筋目抜き通りはほとんど灰燼に帰し、旧家に伝わる古文書・古記録も失なわれたものが多かった。浜松廃城と小野組の大火、この二つの事件は城下町・宿場町として生きてきた浜松への挽歌であった。
明治5年 浜松古城建物入札触書
主要町焼失戸数 |
町名 | 焼失戸数 |
塩 | 70 |
旅籠 | 47 |
伝馬 | 91 |
連尺 | 53 |
神明 | 26 |
板屋 | 126 |
新 | 114 |
鍛冶 | 62 |
肴 | 124 |
池 | 28 |
計 | 741 |