以上は東海道往還筋の町々であるが、これをはずれると横町があった。【肴町】たとえば肴町がある。江戸時代の余風を残し魚商四十八戸が集中し、そのほかに酒屋をはじめ料理屋・すし屋・煮売屋・居酒屋・餅菓子屋がならび郷宿が五軒それに薬湯まであって、歓楽街をなしていた。なおこの時代まで浜松には肴町よりほかに魚商が一軒もなかった。【池町 利町】しかし同じ横町でも池町や下垂町は職人町で、傘屋(二〇戸)左官(九戸)桶屋(八戸)や古着屋が多く、元魚町・利町は大工・左官職の多い町であった。また利町には劇場があった。【鍛冶町】鍛冶町は江戸時代に比して鍛冶業者の数は減っているが依然として八戸もあり、大工・畳職がこれに続き、鋳掛・錺・白銀・鼈甲職・鉄物商があった。【大工町】大工町も大工職(二六戸)が多く、瓦・畳・屋根・左官・表具職等の建築業者が住み、紺屋(三戸)があった。【紺屋町】紺屋町には紺屋職は住んでおらず大工町と同様に建築関係の職人が多く石工・井戸掘・桶職・塗師や荒物(五戸)古着・小間物商・書林などがあった。平田(なめだ)町も大工(五戸)左官・木挽・傘職がおり、それに続く平田村には紺屋・鍛冶職がいた。【早馬町】早馬町には大工・桶・木挽職が、清水町には瓦職が住んでいた。猿屋町は戸数十戸の小さい町であった。【名残町】名残町には傘・鍛冶・鋳物・水嚢(四戸)竹籠職などが住んでいた。